Don Tapscottの最新刊 Grown Up Digitalのなかで、「空気のようなテクノロジー」について触れているところがある。テクノロジーとともに育っているために、そのテクノロジーが当たり前であって、その先のことを考えているのだ、と。生まれたときから、ネットがあった子ども達は、すでに15歳になろうとしている。
CloudSourcingは、このような世代が(あたりまえとして)引っ張っていく、と思うのである。
Link: http://www.informit.com/store/product.aspx?isbn=0131492470
「実践デバッグ 技法」を眺めていて、改めて「DEBUG HACKS」を眺めていたところ、書棚に標記の「Linux(R) Debugging and Performance Tuning」が転がっていることに気がついた。本書は、大学院でのOSの授業で、参考書として紹介したことがある。
といった内容で、ユーザプログラムとカーネルとバランスよく取り上げている。
など、幅広く網羅している。2005年の出版時点では、この網羅状況はすごいとおもう。現在であれば、
LKCD,NetDumpの代わりに、kexec/Kdumpははずせないし、Kprobeではなく、SystemTAPにふれたいところ。でも、このような内容では、事例ベースの「DEBUG HACKS」と双璧をなす、とおもう。
SAFARIで、オンラインで読めるので、興味が有ればお試しあれ。
Link: http://www.oreilly.co.jp/books/9784873114064/
O'Rellyから、デバッグ最新刊、「実践 デバッグ技法」がでる。これは、The art of Debugging with GDB, DDD and Eclipseの訳本だ。
いわば、デバッグ三部作(?)の三部目だ。一部目は、「GDBハンドブック」とすれば、二部目は5月に刊行された「DEBUG HACKS」そして、「実践 デバッグ技法」である。なんと、いただきました。
推薦の辞を、DEBUG HACKSをまとめた吉岡氏が寄せている。
彼はふれていないが、DDDを取り上げているのに、XemacsでのGDB利用にほぼふれていない。でも、vimにふれているあたり、こだわりを感じる内容である。
興味を持った御仁には、1999年くらいのアスキー出版局「GDBデバッギング入門」やそのオンラインドキュメント、新バージョンなら、GDB6.8対応 9版を読まれると良い。折しも、このは、昨日2009年6月1日にリリースされたばかりである。
ウェブログの心理学
山下 清美 (著), 川上 善郎 (著), 川浦 康至 (著), 三浦 麻子 (著)
NTT出版 (2005/03)
雑駁に纏めると。
ウェブログがはやってきているが、実は、日本にはWeb日記やテキストサイトの文化があって、最近になって急に始まったことではない。パソコン通信からの流れもある。それとはべつにUNIX系で事実や情報を日誌として記録する文化もあり、これが欧米のブログの流れに近い。
事実記録:心情の吐露、自己表出中心:他者や事実評価中心の2つの軸で4象限で分類できる。
ということらしい。心理学とあるが、アンケートの母数も数百とちょっと少なめであるし、インタビューによるケースの深掘りも大してなかったかな、というところ。SNSの動きと、Web日記サービスとの関連から心理的な分析など、すこし面白かったかな。
ブログとは?とか、はてなと言うサービスがあって、とか、そういう世の中紹介的な部分が多いので、情報量は極小と思えた。ブログってなに?という諸氏には、なんで日記を公開で書くのか不思議に思えるであろうから、その納得を得るのにちょうど良かろうという気がする。
去る5月19日、わたしの大学時代の指導教官である伊藤弘昌教授の退官記念講演会および記念パーティに出席してきた。
わたしは伊藤先生が教授になったときの最初のB4学生であり、成果の少ないスタートアップの暗黒時代(その後の華々しい論文数から、そのようにOBに呼ばれている)のできの悪い学生だった。
研究室発足時、B4,M1,D1の3人からのスタートだった。そのときD1だった川瀬晃道氏は、現在名古屋大学で教授となっている。彼は非線形光学効果を用いたテラヘルツ波発生によって世界をリードしている。
さて、記念講演では、渡邉剛名誉教授によるお話しを伺った。渡邉先生のお父様と、伊藤先生のお父様は、ドイツのどこか(失念失礼)の大学で一緒に研究した友人であって、お二人も幼少の頃から兄弟分としてかわいがられたとのこと。
講演では
大学は、明治ー平成にかけて変化している。昭和では、経済大国化によって文化の脆弱化が見られ、平成になって教育改革のスローガンのもと、教養教育の終焉ともいうべき事態になっている。教養教育については諸説あるが、大森荘蔵先生の定義がよい。社会知性。創ると言うこと。3本柱の芸術と2本柱の芸術に分けられ;教育は3本:-理論、教員、学生;研究は2本:研究者と評価者;音楽は3本:作曲家、演奏家、鑑賞者。話すときには大事にすること。:3つのi。interest, informative, inspireが大事だ。
を伺った。ウイットに富んだ笑いのあるお話しで、すっかり引き込まれたところである。
先週から、市立図書館に通うことにした。
ということで借りた本。
評論家の意見は、的を射ているが、だからといって、何も
生まないというのが特徴。もう一つは、否定的表現。
これに対して、うちの田舎の言葉だと、「んで?」の二言で返事がすむかも。
「うだうだうだ。」
「んで?」
「・・・?」
「本題はないのね。じゃましないで。」
となる。
アサーションとか、交流分析とか、コーチングとか、ストロークとか
いわゆる評論家的態度とは、そういう心理学的な手法以前かもしれないが、知っておくとあなたがいわゆる評論家にならない助けになるかもしれない。
表現上手は身を助ける
アサーティブな表現なんてのを考えていると、実は電子的に情報を上手に伝えることがとても難しいことだと感じる。そういう分野では、アフォーダンスとか、ファインダビリティとか、フォークソノミーなんてのは、新しい概念で楽しい。仕事のやり方までかわってきそうだ。
:: Next >>